ヘルスクラブの体重計の「私の一日」
(プロローグ)
人々は私を「体重計」と呼ぶ。ある者は畏敬の念を込めて「審判者」と呼び、ある者は軽蔑を込めて「拷問器具」とも呼ぶ。しかし、私はただ数字を見せるだけだ。 私はヘルスクラブの男性ロッカールームの入り口、正確にはロッカーとシャワー室が分かれるその微妙な境界線の上に位置している。 ここは欲望と現実が最も激しく衝突する戦場だ。 私の一日は人間の足音と共に始まる。彼らの裸足は私に多くを語りかける。 躊躇いながら足先でそっと私に触れる足、昨夜の過食を後悔しながら重く踏み出す足、あるいは自信に満ちて堂々と乗る足。私はそのすべての重さを、いや、その重さに込められた人生の重さまで黙々と受け止める。 私は嘘をつかない。それが私の唯一の職業倫理だ。しかし興味深いことに、私を踏んで立つ人間たちは自分自身を騙すことに長けている。彼らは数字を見る前に1秒間息を止めたり、あるいは顔を背けて必死に無視しようとしたり、薄目を開けて数字を盗み見たりする。 ここヘルスクラブは、人間の「より良い私」への渇望が集まる聖殿だ。そして私は、その聖殿の門番だ。門番である私に告解をするように、彼らは毎日自分の最も弱い秘密を私に告白する。まさに「数字」という名の秘密だ。 この連載小説は、私が毎日目撃するその数多くの告解についての記録だ。この記録がどうか、また別の数字に泣き笑いするあなたへの小さな慰めにならんことを。
(第1話) 朝の決心者たち
「月曜日の朝7時、ジムのドアが開く。彼らは贖罪に来るのか、それとも希望を得に来るのか。」
早朝6時。ヘルスクラブの重厚なガラスドアが開く音と共に、私の一日も本格的に始まる。私はこの時間の顧客たちを「朝の決心者たち」と呼ぶ。特に月曜日の朝は壮観だ。週末の間、美食の祭典を繰り広げた彼らが、まるで聖地巡礼をするかのように敬虔な表情でロッカールームに入ってくる。 彼らの最初の儀式は、まさに私に会うことだ。 「はぁ…頼む…」 30代半ばに見える一人の男が近づいてくる。彼は私を踏む前、まるで神聖な儀式を行うかのように万全の準備をする。手首のスマートウォッチを外し、ネックレスを外し、着ていた半袖Tシャツまで脱ぎ捨てる。 私は心の中で叫ぶ。『おい、友よ。そのTシャツの重さは100gもないぞ。君が昨日食べたチキンが問題なのだよ。』 彼は結局パンツ一丁で私の上に乗る。そして1.5kg増えた数字を見て呆然とした表情を浮かべる。彼は知らなかっただろう。彼が失ったのは週末の自由ではなく、もしかしたら「月曜日の朝の希望」だったのかもしれない。 また別の部類は「靴下執着者」たちだ。彼らはどうにかして重さを1gでも減らそうと靴下を脱ぎ、足の指をモジモジさせながら私の上に乗る。その姿があまりにも必死なので、私はたまに彼らの足の指が私のデジタル液晶を突き破って入ってくるのではないかと怖くなるほどだ。 面白い事実は、彼らが私から確認したいことが本当に「体重」なのかという点だ。 ある青年は毎朝私を踏む。彼は数字が0.1kgでも減っていれば世の中を全て手に入れたような笑みを浮かべてロッカーへ向かう。反面、数字がそのままだったり増えていたりすれば、彼はその日の運動をまるで地球を救う戦士のように悲壮な覚悟で遂行する。 私は彼に数字ではなく「動機付け」を売っているわけだ。私は数字を見せるが、彼らはそこから「決心」を読み取る。 「よし!昨日食べるのを控えてよかった。」「くそっ、なんてこった。今日はランニングマシン30分追加だ。」 私は彼らの秘密めいた誓いを聞く唯一の目撃者だ。朝の決心者たち。彼らは実は体重を測りに来るのではない。彼らは昨日の自分を反省し、今日の自分に鞭打つ「理由」を探しに来るのだ。そして私は、彼らに最も客観的で過酷な理由を提供する。実に皮肉な職業と言わざるを得ない。
私の考え! 決心は軽いが、その決心を守ろうとする努力は重いものです。秤(はかり)はあなたの決心ではなく、昨日の結果だけを見せるだけです。数字に一喜一憂しないでください。重要なのは、今日あなたが秤の上に乗ったという「行動」そのものであり、その行動を可能にしたあなたの「意志」なのです。
(第2話) 真昼の執着者たち
「彼らは鏡の中の自分と恋に落ちたが、私(体重計)には確認をもらいたくてたまらないのです。実に疲れる愛です。」
朝の狂風が吹き去った午前10時。ロッカールームはしばし平和を取り戻す。しかしこの平和は長くはない。続いて「真昼の執着者たち」が登場するからだ。 彼らは主に「ボディプロフィール(撮影)」を準備したり、あるいは自分の体を芸術作品のように彫刻することに余念がない人々だ。 彼らにとって私は「体重計」ではなく、「体脂肪測定器」の補助道具だ。しかし残念ながら、私は単純な重さの測定しかしない。インボディ(InBody)のように親切に筋肉量と体脂肪率を教えてあげることはできない。 「あ、クソッ。筋肉が300g増えたのに、体重が500g増えたな?これ脂肪がついたんじゃないか?」 ある男が泣きそうな顔で呟く。彼はたった今、あちらの隅にあるインボディから「筋肉量増加」という甘い囁きを聞いてきたが、私の上に乗って「総重量増加」という冷酷な現実に直面したところだ。 彼は私を睨みつける。まるで私が彼の脂肪と結託でもしたかのように。 この時間帯のもう一つの主役は「パーソナルトレーナー(PT)」たちだ。彼らは会員を連れてきて、私を「審判の道具」として活用する。 「会員様。昨日会食されましたよね?お見通しですよ。数字が物語っているじゃないですか。」 トレーナーがクリップボードを叩きながら言う。会員は頭を下げた罪人になる。私はいつの間にか「密告者」になってしまった。私は言いたい。『おい、トレーナーさんよ。この方は昨日の会食の席で生き残るために戦ったんだ!その重さは人生の哀歓なんだよ!』 しかし私の沈黙は彼らにより大きな権威を与える。数字は反論できない証拠となる。 「さあ、今日は下半身2セット追加です。」 私は彼らの取引を黙々と見守る。人間たちは実に面白い。彼らは自分の体を愛していると言いながら、いざその体を数字だけで評価しようとする。鏡の前ではあれほど自分の筋肉に感嘆し、自分を褒め称えておきながら、私の上に乗ればたった1kgの変動で天国と地獄を行き来する。 彼らにとって「体」とは愛の対象なのか、それとも管理の対象なのか。 私は時々混乱する。真昼の執着者たちは私から数字ではなく「安堵感」を買いたがっている。 「あなたはよくやっています」という慰めの言葉を聞きたがっている。しかし私はC-700。慰めの代わりに、今日もファクト(Fact)をプレゼントするだけだ。
私の考え! 私たちはしばしば過程を無視し、結果(数字)に執着します。しかし、あなたが鏡の中で見た昨日より良くなった微細な筋肉のライン、より健康的になった顔色こそが真の「結果」です。秤の上の数字は、あなたの努力を盛り込むにはあまりにも平面的すぎる道具に過ぎません。あなたの「変化」を信じてください、「数字」ではなく。
(第3話) 夕方の取引者たち
「今日500g燃やしたから、夕方にチキン500gを食べてもいいかな?彼らは私と『取引(Deal)』をしに来る。」
夕方7時。ヘルスクラブは再び市場のように込み合い始める。「夕方の取引者たち」が退勤後に押し寄せる時間だ。朝の決心者たちが「贖罪」のために来たなら、夕方の取引者たちは「交渉」のために私を訪ねる。 彼らの目的は明確だ。『今夜、私は何を食べることができるか?』 ワイシャツを脱ぎ捨てたばかりのある会社員が私の上に乗る。彼は運動前の重さを測る。「82.5kg。よし。」そして彼は燃える意志でランニングマシンとウェイトゾーンを行き来し、汗を流す。 1時間後、彼は汗びっしょりになって再び私の前に立つ。シャワー室に入る直前、彼は悲壮な表情で私を踏む。 「82.0kg!」 彼の顔に明るい笑みが広がる。500g減量。彼は勝利した。私は知っている。あの500gは実は大部分が汗として抜け出た水分だということを。水一杯ですぐに戻る虚像だということを。 しかし、彼はその「数字500」を持って堂々とロッカーへ向かう。彼の頭の中はすでにジムを離れ、チキン屋に向かっている。『そう、500g燃やしたから500gくらいは食べてもいい。これは等価交換だ。』彼は自分自身に寛大な免罪符を発行したのだ。 私は彼らの「自己正当化」のための完璧なアリバイとなる。 また別の部類は「現状維持派」だ。彼らは退勤後ここに来るだけでもすでに大きな仕事を成し遂げたと思っている。彼らは運動をハードにやらない。適当にランニングマシンを歩き、友人と雑談をし、シャワーを浴びに来る。 そして私を踏む。 数字が昨日と同じだ。「ふぅ、よかった。太ってはいないな。」数字が少し増えた。「ええい、もう知らない。二日絶食すればいいさ。」 彼らにとって私は「確認スタンプ」だ。『今日も出席した。現状維持成功(あるいは失敗)。』彼らは私を通じて一日の運動を「精算」する。しかしその精算はいつも自分に有利な方へと解釈される。 夕方の取引者たち。彼らは私を通じて今日の苦労と明日の快楽を交換しようとする。私は彼らの隠密な取引を黙々と承認してあげる「公証人」だ。彼らが望むのは真実ではなく、気楽に夜食を楽しむ「名分」なのだから。 今日も私は数多くの「チキン拝謁券」を発行してやった。
私の考え! 私たちは報酬を望みます。努力に対する即刻的な報酬(数字)を望み、その報酬を根拠にまた別の快楽(食べ物)を貪りますよね。しかし真の報酬は数字ではなく、汗を流した後の爽快感、昨日より軽くなった体の感覚そのものです。あなたの努力は「食べるため」ではなく、「より良いあなたになるため」に使われるべきではないでしょうか?
(第4話) 見えない重さを測る時間
「今日あなたの重さは何kgでしたか?…いや、あなたが『耐え抜いた』重さのことです。」
夜10時。世の中が眠る準備をする時間だが、このヘルスクラブのロッカールームはまた別の意味の「一日」を締めくくる人々で混み合っている。 昼間の時間が「誇示」と「競争」の舞台なら、この時間は違う。「俺、今日これだけ痩せた!」とハイタッチをする代わりに、「あぁ、今日もクソ重かったな」と深いため息をつく人々の独擅場(どくせんじょう)だ。 私はこの時間を「告解の時間」と呼んでいる。そしてたった今、私の常連の「懺悔者」が登場した。
彼のあだ名は「残業したキム代理」。(私がつけた愛称だ。もちろん彼は知らない。)彼はトレーニングウェアに着替えるつもりもなさそうだ。汗と疲労にまみれてしわくちゃになったワイシャツの襟、首にかけた社員証、そして今にも自分を手放してしまいそうなほど解けた瞳孔。 彼はこのロッカールームに運動をしに来たのではない。彼はただ…「家」というまた別の戦場に行く前、少し息を整える「中間地帯」が必要だっただけだ。 トボトボ。彼の足音は昼間に会った「筋肉モンスター・パク氏」の「ズカッ!ズカッ!」とは質的に違う。その足取りには、今日一日彼が背負ったすべてのものの重さが乗っている。 彼はベンチに座り10分ほどぼんやりと虚空を眺め、やがて私に近づいてくる。今日の最後の儀式を行うためだ。 彼は実に奇妙なやり方で私に接する。靴下も脱がない。ポケットの中のスマートフォンと財布、車の鍵も出さない。まるで「これらでさえ私の体の一部だ」とデモをするかのように。 彼は靴だけ脱いでドサッ、と私の上に乗る。 [ 82.5 kg ] 液晶画面に冷徹に数字が浮かび上がる。昨日の夜8時、上司に怒られながら急いで詰め込んだコンビニ弁当とビール一缶の重さがそのまま反映された数字だ。 しかし彼は数字を見ても何の表情の変化もない。絶望もしなければ、喜びもしない。ただぼんやりと…自分の足先と私の液晶画面を交互に見るだけだ。 私は知っている。彼が今測りたいのは「体脂肪」や「筋肉量」などではないということを。 彼は今、自分が耐えている「人生の重さ」がいったい何キログラムなのか確認したいのだ。 今朝、彼を押し潰した「月曜日」という名の圧迫感、午後中ずっと彼を苦しめた部長の小言、「パパ、いつ帰ってくるの?」という子供のメッセージが与える申し訳なさ、そして今月のカード請求額の圧迫まで。 そのすべての「見えない重さ」を合算した総量がたった82.5kgであるはずがないのに、彼はこの数字から何らかの慰めでも探そうとしているようだ。
「クソッ…クソ重いな。」 キム代理が独り言を吐き捨て、私から降りる。 『おいおい、キム代理。その重さは私が測れるものじゃないんだ。それは「残業手当」でも換算できない「心の負債」みたいなものだよ。私がもしそれを測ることができたなら、私の液晶は多分 [ERROR] か [999.9kg] を浮かべてとっくに故障していただろうさ!』 『それに、知ってるかい?私が測れるのはただ重力の力(kg)だけだが、あなたは今その重力に逆らって二本の足で耐えて立っているじゃないか。それだけでもすごいことなんだよ。』
実に皮肉じゃないか?人間たちは体を「軽く」するためにこのジムに来て、最も「重い」心の荷物を私の上で確認して帰っていく。 彼らは私から「数字」を見ているのではない。「今日一日もよく耐えた」という「生存確認」をしているのだ。 キム代理はトレーニングウェアに着替えず、またベンチに座り込む。そして5分ほどさらにぼんやりと座っていたが、上着を持ってロッカールームを出ていく。 彼はこのジムに「運動」をしに来たのではなく、「体重計に乗るために」来たのだ。自分が背負った重さを少しの間私に打ち明け、ほんの少しでも軽くなった気分で「家」という空間に戻るために。 私は今日も数多くの「見えない重さ」たちを黙々と受け止めた。もしかしたら私の本当の任務は体重を測ることではなく、彼らが少しの間自分の重さを打ち明けていける「竹林」になってあげることなのかもしれない。 … おっと、あそこでトレーナーが締めの掃除を始めたようだ。私の上にも冷たいモップが通り過ぎる時間だ。一日中溜まった人間たちの「重さ」を拭き取るこの時間が、私は結構気に入っているんだ。
私の考え! 皆さん。今日一日、皆さんの肩を押し潰した「重さ」は何キログラムでしたか? 私たちはしばしば目に見える数字、すなわち「体重」に執着するあまり、本当に重要なことを忘れて生きています。私が測定できるのは、せいぜい「地球があなたを引き寄せる力」だけです。 しかし、私が敢えて測定できない重さがあります。それはあなたが背負った「責任感の重さ」、「愛する人に対する心配の重さ」、そして「今日一日を無事に生き抜いたという存在の重さ」です。 どうか覚えておいてください。あなたの「価値」や「幸福」まで秤の上に乗せないでください。あなたという「宇宙」の重さは、敢えて私のようなポンコツ機械ごときが測れる領域ではないのです。 ですから今夜は、私の上に乗る代わりに、ただ楽に両足を伸ばしてお休みください。あなたはすでに十分に、重厚に存在しているのですから。
(最終話・第5話) 数字は嘘をつく
「いつも真実だけを語っていた私が…故障した。するとヘルスクラブがひっくり返った。いや、実は彼らの信念がひっくり返ったのだ。」
私の唯一の自負心は「正確性」だった。私は感情も偏見もなく、ただ重力の法則に従って数字を告知する存在。私のデジタル液晶は誰に対しても嘘を告げず、いかなる美辞麗句も付け加えなかった。 ただファクト(Fact)だけを言うだけだった。ところが、私の存在理由であり自負心であったその「正確性」にひびが入る日が来てしまった。 事件はヘルスクラブが最も活気を帯びる「朝の決心者たち」と「真昼の執着者たち」が入り混じるピークタイムに起きた。いつものように汗のしずくが結ばれた人々が列を作って私を待っていた。彼らの眼差しには、昨日食べた夜食に対する後悔、今日の運動に対する悲壮感、そして微かな期待感が交差していた。 最初の走者が慎重に私の上に乗った。30代前半の会社員、キム代理だ。彼は昨日より0.5kgでも減っていることを願いながら息を止めて液晶を見下ろした。私は普段と変わらず彼の重さを測定しようとした。ところが… 「なんだ!俺が120kgだと?昨日80だったのに!」 キム代理の悲鳴がロッカールームに響き渡った。彼の顔は驚愕と怒り、そして呆れで歪んだ。彼の言葉は事実だった。彼は昨日まで80kg代前半の屈強な青年だった。ところがいったいどうしたことか、突然相撲取りクラスに膨れ上がるとは! 私は慌てた。私の液晶には「120.5kg」というとんでもない数字が映し出されていた。そしてその数字の横には「Lo」という警告灯が不安げに点滅し始めた。バッテリー不足。私の命が尽きようとしていた。私の「真実」が「嘘」に変質する瞬間だった。 瞬く間にロッカールームは修羅場となった。 「これ故障してるわ!ああ、今日体重測らなきゃいけないのに!」あるおばさんが足をバタバタさせながら叫んだ。彼女は毎朝「モーニングルーティン」のように私の数字を確認し、その日の運動強度を調節する方だった。私なしでは彼女の一日の計画自体が不可能なように見えた。 「どうりで。昨日より3kgも太ったと思ったわ。これが全部秤のせいだったのね!」(実はその方は昨日より1kgほど太った状態だった。)ある者は故障した私を言い訳にして、自分の「不都合な真実」を回避しようとした。私は心の中で叫んだ。『おい、おばさん!私が故障する前もその1kgは本物でしたよ!』 「僕の筋肉量…いや、僕の重さ…僕のルーティンが壊れた!」『真昼の執着者』の一人であるボディプロフィール準備生は、ほとんど泣き顔になって自分の腹筋を掴んだ。彼は私なしでは自分の体がどれほど「完璧」な状態なのか分からないと思っているようだった。 彼は私をまるで自分の存在価値を証明する唯一の道具のように見なしていた。 人々はまるで世の終わりでも来たかのように絶望した。ある日突然、人生の「基準点」を失ってしまった人々のよう見えた。彼らにとって私は単なる秤ではなかった。彼らの一日を始める「羅針盤」であり、彼らの努力に対する「成績表」であり、時には自らに鞭打つ「理由」を提供する存在だったのだ。 私の「エラー」は彼らの日常に深刻な「エラー」を招いた。 トレーナーが急いで走ってきた。彼は状況を把握すると手慣れた様子で私をひっくり返した。「さあ、会員様たち!少々お待ちください!バッテリー切れですね!」 カチャッ、新しい電池が挿入された。私は再び「命」を得た。私の液晶には再び「0.0kg」が鮮明に浮かび上がった。トレーナーは明るく笑って叫んだ。「さあ、会員様たち!これで正常に作動します!」 人々は安堵のため息をついて再び列を作った。そして正常に戻った数字を確認してからようやく平穏を取り戻し、ロッカーへ向かった。彼らの顔には、まるで失った宝物を見つけたような安堵感と、再び人生の統制権を取り戻したような満足感がかすめていった。 私はその短い騒動を経験しながら深い考えに沈んだ。 私が故障した時、ある者は安堵し、ある者は絶望した。彼らが執着していた「数字」というものがいかに荒唐無稽なものか。私のバッテリー残量によって天国と地獄を行き来するのが、まさに彼らが盲信していた「真実」だった。 彼らの幸福と不幸が、すり減っていく電池一つにかかっていたとは、考えれば考えるほど奇妙なことだった。 私は今日初めて嘘をついた。意図したわけではないが、「120.5kg」というとんでもない数字を見せた。そして悟った。 もしかすると、私が毎日見せているこの冷徹な数字たちも、完璧な真実ではないかもしれないと。 人間の体は水分摂取量、食物摂取量、睡眠の質、ひいてはストレス指数とコンディションによって一日にも何度となく重さが変わる。私が見せるのはその刹那の「瞬間」に過ぎず、その人の「すべて」ではない。骨と筋肉、脂肪の質量だけを測定するだけで、 彼らの情熱、努力、挫折、そして再び立ち上がる意志の重さは全く測定できなかった。 彼らは私が故障した時に混乱したが、もしかするとその時が唯一、彼らが「数字」というしがらみから抜け出す機会だったのかもしれない。数字に恋々(れんれん)とせず、自分の体が感じる感覚、昨日より軽くなったコンディション、あるいは汗を流した後の成就感に集中できる機会のことだ。 私は再び「0.0kg」を浮かべる。冷たい床に一人置かれた私は、明日の朝になればまた再び数多くの足たちを迎えるだろう。彼らは変わらず私から「真実」を望むだろうし、私は変わらず彼らに「数字」を見せるだろう。 しかし、もう私は知っている。この数字もやはり、もう一つの「嘘」であり得ることを。この数字がすべてではないことを。 真のあなたの重さは、私が見せることのできない別の場所にあるということを。
私の考え! 私たちはしばしば「絶対的な基準点」に閉じ込められて生きています。秤の数字、通帳の残高、試験の点数、あるいは他人の視線や評価のようにですね。しかしその基準点が消えたり揺らぐ時、私たちは初めて私たち自身に集中するようになります。数字があなたを証明するのではなく、あなたが今日一日をどう生き抜いたかという「過程」と「努力」があなたを証明するのです。あなたの真の価値は骨と筋肉、脂肪の総和ではなく、あなたの心と精神、そしてあなたが世の中に作り出す肯定的な波動にあります。時には秤を離れ、あなたの「感覚」を信じてみてください。あなたはあなたが測る数字ではなく、あなたが生きていく「人生」そのものです。
헬스클럽 체중계의 '나의 하루'
(프롤로그)
나의 하루는 인간들의 발소리와 함께 시작된다. 그들의 맨발은 나에게 많은 것을 말해준다.
망설임에 가득 차 발끝으로 살짝 나를 건드려보는 발, 어젯밤의 과식을 후회하며 무겁게 내디뎌지는 발, 혹은 자신감에 넘쳐 당당하게 올라서는 발. 나는 그 모든 무게를, 아니, 그 무게에 담긴 삶의 무게까지 묵묵히 받아낸다.
나는 거짓말을 하지 않는다.
그것이 나의 유일한 직업윤리다. 하지만 흥미롭게도, 나를 밟고 서는 인간들은 스스로를 속이는 데 도가 텄다. 그들은 숫자를 보기 전 1초간 숨을 참거나, 혹은 고개를 돌리고 애써 외면하다 실눈을 뜨고 숫자를 훔쳐본다.
이곳 헬스클럽은 인간의 '더 나은 나'를 향한 열망이 모이는 성전(聖殿)이다. 그리고 나는, 그 성전의 문지기다. 문지기인 내게 고해성사를 하듯, 그들은 매일 자신의 가장 연약한 비밀을 내게 고백한다. 바로 '숫자'라는 이름의 비밀이다.
이 연재 소설은, 내가 매일 목격하는 그 수많은 고해성사에 대한 기록이다. 이 기록이 부디, 또 다른 숫자에 울고 웃을 당신에게 작은 위로가 되기를.
헬스클럽 체중계의 '나의 하루'
(1화) 아침의 결심자들
"월요일 아침 7시, 헬스클럽 문이 열린다. 그들은 속죄하러 오는가, 아니면 희망을 얻으러 오는가."
새벽 6시. 헬스클럽의 육중한 유리문이 열리는 소리와 함께 나의 하루도 본격적으로 시작된다. 나는 이 시간의 고객들을 '아침의 결심자들'이라고 부른다. 특히 월요일 아침은 장관이다. 주말 동안 미식의 축제를 벌인 이들이, 마치 성지 순례를 하듯 경건한 표정으로 탈의실에 들어선다.
그들의 첫 번째 의식은 바로 나를 만나는 것이다.
"하... 제발..."
30대 중반으로 보이는 한 남자가 다가온다. 그는 나를 밟기 전, 마치 신성한 의식을 치르듯 만반의 준비를 한다. 손목의 스마트 워치를 풀고, 목걸이를 빼고, 심지어 입고 있던 반팔 티셔츠까지 벗어 던진다.
나는 속으로 외친다. '이보게, 친구. 그 티셔츠 무게는 100g도 안 된다네. 자네가 어제 먹은 치킨이 문제지.'
그는 결국 팬티 바람으로 내 위에 올라선다. 그리고는 1.5kg이 늘어난 숫자를 보고 망연자실한 표정을 짓는다. 그는 몰랐을 것이다. 그가 잃어버린 것은 주말의 자유가 아니라, 어쩌면 '월요일 아침의 희망'이었을지도.
또 다른 부류는 '양말 집착자'들이다. 그들은 어떻게든 무게를 1g이라도 줄여보겠다고 양말을 벗고, 발가락을 꼼지락거리며 내 위에 올라선다.
그 모습이 어찌나 필사적인지, 나는 가끔 그들의 발가락이 내 디지털 액정을 뚫고 들어올 것만 같아 겁이 날 정도다.
재미있는 사실은, 그들이 나에게서 확인하고 싶은 것이 정말 '몸무게'일까 하는 점이다.
한 청년은 매일 아침 나를 밟는다. 그는 숫자가 0.1kg이라도 줄어있으면 세상을 다 가진 듯한 미소를 짓고 락커로 향한다. 반면, 숫자가 그대로거나 늘어있으면, 그는 그날의 운동을 마치 지구를 구하는 전사처럼 비장하게 수행한다.
나는 그에게 숫자가 아니라 '동기부여'를 파는 셈이다. 나는 숫자를 보여주지만, 그들은 거기서 '결심'을 읽는다.
"좋았어! 어제 좀 덜 먹길 잘했군." "이런, 망할. 오늘 런닝머신 30분 추가다."
나는 그들의 비밀스러운 다짐을 듣는 유일한 목격자다. 아침의 결심자들. 그들은 사실 몸무게를 재러 오는 것이 아니다. 그들은 어제의 자신을 반성하고, 오늘의 자신을 채찍질할 '이유'를 찾으러 오는 것이다. 그리고 나는, 그들에게 가장 객관적이고도 가혹한 이유를 제공한다. 참으로 아이러니한 직업이 아닐 수 없다.
나의 생각!
결심은 가볍지만, 그 결심을 지키려는 노력은 무겁습니다. 저울은 여러분의 결심이 아닌, 어제의 결과만을 보여줄 뿐입니다. 숫자에 일희일비하지 마십시오. 중요한 것은 오늘 여러분이 저울 위에 올라섰다는 '행동' 그 자체이며, 그 행동을 가능하게 한 당신의 '의지'입니다.
(2화) 한낮의 집착자들
"그들은 거울 속 자신과 사랑에 빠졌지만, 나(체중계)에게는 확인을 받고 싶어 안달이 났죠. 참 피곤한 사랑입니다."
아침의 광풍이 휩쓸고 간 오전 10시. 탈의실은 잠시 평화를 되찾는다. 하지만 이 평화는 길지 않다. 곧이어 '한낮의 집착자들'이 등장하기 때문이다.
이들은 주로 '바디 프로필'을 준비하거나, 혹은 자신의 몸을 예술 작품처럼 조각하는 데 여념이 없는 이들이다.
그들에게 나는 '체중계'가 아니라 '체지방 측정기'의 보조 도구다. 하지만 안타깝게도 나는 단순 무게 측정만 한다. 인바디(InBody)처럼 친절하게 근육량과 체지방률을 알려주지 못한다.
"아, 젠장. 근육이 300g 늘었는데, 체중이 500g 늘었네? 이거 지방 낀 거 아냐?"
한 남자가 거의 울상이 되어 중얼거린다. 그는 방금 저쪽 구석의 인바디에서 '근육량 증가'라는 달콤한 속삭임을 듣고 왔지만, 내 위에 올라서서 '총중량 증가'라는 냉혹한 현실을 마주한 참이다.
그는 나를 노려본다. 마치 내가 그의 지방과 공모라도 한 것처럼.
이 시간대의 또 다른 주역은 '퍼스널 트레이너(PT)'들이다. 그들은 회원들을 데리고 와서 나를 '심판의 도구'로 활용한다.
"회원님. 어제 회식하셨죠? 제가 다 압니다. 숫자가 말해주잖아요."
트레이너가 클립보드를 탁탁 치며 말한다. 회원은 고개를 숙인 죄인이 된다. 나는 졸지에 '밀고자'가 되어버렸다. 나는 말하고 싶다. '이봐, 트레이너 양반. 이 분은 어제 회식 자리에서 살아남기 위해 싸웠다고! 그 무게는 삶의 애환이야!'
하지만 나의 침묵은 그들에게 더 큰 권위를 부여한다. 숫자는 반박할 수 없는 증거가 된다.
"자, 오늘 하체 2세트 추가입니다."
나는 그들의 거래를 묵묵히 지켜본다. 인간들은 참 재미있다. 그들은 자신의 몸을 사랑한다고 말하면서, 정작 그 몸을 숫자로만 평가하려 든다. 거울 앞에서는 그렇게나 자신의 근육에 감탄하고 스스로를 대견해하다가도, 내 위에 올라서면 단 1kg의 변동에 천국과 지옥을 오간다.
그들에게 '몸'이란 사랑의 대상인가, 아니면 관리의 대상인가.
나는 가끔 헷갈린다. 한낮의 집착자들은 나에게서 숫자가 아닌 '안도감'을 사고 싶어 한다.
"당신은 잘하고 있습니다."라는 위로의 말을 듣고 싶어 한다. 하지만 나는 C-700. 위로 대신, 오늘도 팩트(Fact)를 선사할 뿐이다.
나의 생각!
우리는 종종 과정을 무시하고 결과(숫자)에 집착합니다. 하지만 여러분이 거울 속에서 본 어제보다 나아진 미세한 근육의 선, 더 건강해진 안색이야말로 진정한 '결과'입니다. 저울 위의 숫자는 여러분의 노력을 담아내기엔 너무나도 평면적인 도구일 뿐입니다. 여러분의 '변화'를 믿으십시오, '숫자'가 아니라.
(3화) 저녁의 거래자들
"오늘 500g을 태웠으니, 저녁에 치킨 500g을 먹어도 될까? 그들은 나와 '딜(Deal)'을 하러 온다."
저녁 7시. 헬스클럽은 다시 한번 시장 바닥처럼 붐비기 시작한다. '저녁의 거래자들'이 퇴근 후 몰려드는 시간이다. 아침의 결심자들이 '속죄'를 위해 왔다면, 저녁의 거래자들은 '협상'을 위해 나를 찾는다.
그들의 목적은 명확하다. '오늘 밤, 나는 무엇을 먹을 수 있는가?'
와이셔츠를 막 벗어던진 한 직장인이 내 위에 올라선다. 그는 운동 전 무게를 잰다. "82.5kg. 좋아." 그리고 그는 불타는 의지로 런닝머신과 웨이트 존을 오가며 땀을 쏟아낸다.
한 시간 후, 그는 땀에 흠뻑 젖어 다시 내 앞에 선다. 샤워실로 들어가기 직전, 그는 비장한 표정으로 나를 밟는다.
"82.0kg!"
그의 얼굴에 환한 미소가 번진다. 500g 감량. 그는 승리했다. 나는 안다. 저 500g은 사실 대부분 땀으로 빠져나간 수분이라는 것을. 물 한 잔이면 바로 돌아올 허상이라는 것을.
하지만 그는 그 '숫자 500'을 들고 당당하게 락커로 향한다. 그의 머릿속은 이미 헬스클럽을 떠나 치킨집으로 향하고 있다. '그래, 500g 태웠으니 500g 정도는 먹어도 돼. 이건 등가교환이야.' 그는 스스로에게 관대한 면죄부를 발급한 것이다.
나는 그들의 '자기 합리화'를 위한 완벽한 알리바이가 된다.
또 다른 부류는 '현상 유지파'다. 그들은 퇴근 후 이곳에 오는 것만으로도 이미 큰일을 해냈다고 생각한다. 그들은 운동을 빡세게 하지 않는다. 설렁설렁 런닝머신을 걷다가, 친구와 잡담을 하다가, 샤워를 하러 온다.
그리고 나를 밟는다.
숫자가 어제와 같다. "휴, 다행이다. 찌지는 않았네." 숫자가 조금 늘었다. "에이, 모르겠다. 이틀 굶으면 되지."
그들에게 나는 '확인 도장'이다. '오늘도 출석했음. 현상 유지 성공(혹은 실패).' 그들은 나를 통해 하루의 운동을 '정산'한다. 하지만 그 정산은 언제나 자신에게 유리한 쪽으로 해석된다.
저녁의 거래자들. 그들은 나를 통해 오늘의 수고와 내일의 쾌락을 맞바꾸려 한다. 나는 그들의 은밀한 거래를 묵묵히 승인해 주는 '공증인'이다. 그들이 원하는 것은 진실이 아니라, 마음 편히 야식을 즐길 '명분'이니까.
오늘도 나는 수많은 '치킨 영접권'을 발급해 주었다.
나의 생각!
우리는 보상을 원합니다. 노력에 대한 즉각적인 보상(숫자)을 원하고, 그 보상을 근거로 또 다른 쾌락(음식)을 탐하죠. 하지만 진정한 보상은 숫자가 아니라, 땀 흘린 뒤의 개운함, 어제보다 가벼워진 몸의 감각 그 자체입니다. 여러분의 노력은 '먹기 위해'가 아니라, '더 나은 여러분이 되기 위해' 쓰여야 하지 않을까요?
어떠셨나요? 땀 흘린 뒤의 '보상 심리', 참 공감되지 않나요? ^^
(4화) 보이지 않는 무게를 재는 시간
밤 10시. 세상이 잠들 준비를 하는 시간이지만, 이 헬스클럽 라커룸은 또 다른 의미의 '하루'를 마감하는 이들로 붐빕니다.
낮 시간이 '과시'와 '경쟁'의 무대라면, 이 시간은 다릅니다. "나 오늘 이만큼 뺐다!"라며 하이파이브를 하는 대신, "아, 오늘 하루도 더럽게 무거웠네"라며 깊은 한숨을 내쉬는 이들의 독무대죠.
저는 이 시간을 '고해성사의 시간'이라 부릅니다. 그리고 방금, 제 단골 '참회자'가 등장했습니다.
그의 별명은 '야근한 김 대리'. (제가 지어준 애칭입니다. 물론 그는 모르죠.) 그는 헬스복으로 갈아입을 생각도 없어 보입니다. 땀과 피로에 절어 구깃구깃해진 와이셔츠 깃, 목에 걸친 사원증, 그리고 금방이라도 자신을 놓아버릴 듯 풀린 동공.
그는 이 라커룸에서 운동을 하러 온 것이 아닙니다. 그는 그저... '집'이라는 또 다른 전장으로 가기 전, 잠시 숨을 고를 '중간 지대'가 필요했을 뿐입니다.
터벅터벅. 그의 발걸음 소리는 낮에 만났던 '근육몬 박 씨'의 "성큼! 성큼!"과는 질적으로 다릅니다. 그 발걸음에는 오늘 하루 그가 짊어졌던 모든 것의 무게가 실려 있습니다.
그는 벤치에 앉아 10분쯤 멍하니 허공을 보더니, 이윽고 제게 다가옵니다. 오늘의 마지막 의식(儀式)을 치르기 위해서죠.
그는 참으로 이상한 방식으로 저를 대합니다. 양말도 벗지 않습니다. 주머니 속 스마트폰과 지갑, 차 키도 빼지 않습니다. 마치 "이것들조차 내 몸의 일부다"라고 시위하듯이 말입니다.
그는 신발만 벗고 털썩, 제 위에 올라섭니다.
[ 82.5 kg ]
액정 화면에 냉정하게 숫자가 떠오릅니다. 어제 저녁 8시, 상사에게 깨지며 급하게 밀어 넣은 편의점 도시락과 맥주 한 캔의 무게가 고스란히 반영된 숫자죠.
하지만 그는 숫자를 보고도 아무런 표정 변화가 없습니다. 절망하지도, 기뻐하지도 않습니다. 그저 멍하니... 자신의 발끝과 제 액정 화면을 번갈아 볼 뿐입니다.
저는 압니다. 그가 지금 재고 싶은 것은 '체지방'이나 '근육량' 따위가 아니라는 것을요.
그는 지금, 자신이 감당하고 있는 '삶의 무게'가 대체 몇 킬로그램인지 확인하고 싶은 겁니다.
오늘 아침, 그를 짓눌렀던 '월요일'이라는 이름의 압박감, 오후 내내 그를 괴롭혔던 부장의 잔소리, "아빠, 언제 와?"라는 아이의 문자 메시지가 주는 미안함, 그리고 이번 달 카드값의 압박까지.
그 모든 '보이지 않는 무게'들을 합산한 총량이 고작 82.5kg일 리가 없는데도, 그는 이 숫자에서 어떤 위안이라도 찾으려는 듯합니다.
"젠장... 더럽게 무겁네."
김 대리가 혼잣말을 뱉으며 제게서 내려옵니다.
'이봐요, 김 대리. 그 무게는 내가 재는 게 아니라고. 그건 '야근 수당'으로도 환산 안 되는 '마음의 부채' 같은 거요. 내가 만약 그걸 잴 수 있었다면, 내 액정은 아마 [ERROR]나 [999.9kg]를 띄우고 진작에 고장 났을 겁니다!'
'그리고 그거 아세요? 제가 잴 수 있는 건 오직 중력의 힘(kg)뿐이지만, 당신은 그 중력에 맞서 지금 두 발로 버티고 서 있잖아요. 그것만으로도 대단한 거라고요.'
참 아이러니하지 않습니까? 인간들은 몸을 '가볍게' 하기 위해 이 헬스클럽에 와서, 가장 '무거운' 마음의 짐들을 제 위에서 확인하고 갑니다.
그들은 제게서 '숫자'를 보는 게 아닙니다. '오늘 하루도 잘 버텼다'는 '생존 확인'을 하는 겁니다.
김 대리는 운동복으로 갈아입지 않고, 다시 벤치에 주저앉습니다. 그리고 5분쯤 더 멍하니 앉아있다가, 겉옷을 챙겨 라커룸을 나섭니다.
그는 이 헬스클럽에 '운동'을 하러 온 것이 아니라, '체중계에 오르기 위해' 온 것입니다. 자신이 짊어진 무게를 잠시 제게 털어놓고, 아주 조금이라도 가벼워진 기분으로 '집'이라는 공간으로 돌아가기 위해서죠.
저는 오늘도 수많은 '보이지 않는 무게'들을 묵묵히 받아냈습니다. 어쩌면 제 진짜 임무는 체중을 재는 것이 아니라, 그들이 잠시 자신의 무게를 털어놓고 갈 수 있는 '대나무 숲'이 되어주는 것일지도 모르겠습니다.
...
어이쿠, 저기 트레이너가 마감 청소를 시작하는군요. 제 위에도 차가운 물걸레가 지나갈 시간입니다. 하루 종일 쌓인 인간들의 '무게'를 닦아내는 이 시간이, 저는 제법 마음에 든답니다.
여러분. 오늘 하루, 여러분의 어깨를 짓누른 '무게'는 몇 킬로그램이었습니까?
우리는 종종 눈에 보이는 숫자, 즉 '체중'에 집착하느라 정작 중요한 것을 잊고 삽니다. 제가 측정할 수 있는 것은 고작 '지구가 당신을 끌어당기는 힘'일 뿐입니다.
하지만 제가 감히 측정할 수 없는 무게가 있습니다. 그것은 당신이 짊어진 '책임감의 무게', '사랑하는 이에 대한 걱정의 무게', 그리고 '오늘 하루를 무사히 살아냈다는 존재의 무게'입니다.
부디 기억하십시오. 여러분의 '가치'나 '행복'까지 저울 위에 올려놓지 마십시오. 당신이라는 '우주'의 무게는, 감히 저 같은 고물 기계 따위가 잴 수 있는 영역이 아니랍니다.
그러니 오늘 밤은, 제 위에 올라서는 대신, 그저 편안히 두 다리 뻗고 주무시길. 당신은 이미 충분히, 묵직하게 존재하고 있으니까요.
(마지막5화) 숫자는 거짓말을 한다
"늘 진실만을 말하던 내가... 고장 났다. 그러자 헬스클럽이 뒤집어졌다. 아니, 사실은 그들의 믿음이 뒤집힌 거였다."
나의 유일한 자부심은 '정확성'이었다. 나는 감정도, 편견도 없이 오직 중력의 법칙에 따라 숫자를 고지하는 존재. 나의 디지털 액정은 그 누구에게도 거짓을 고하지 않았으며, 그 어떤 미사여구도 덧붙이지 않았다.
그저 팩트(Fact)만을 말할 뿐이었다. 그런데, 나의 존재의 이유이자 자부심이었던 그 '정확성'에 금이 가는 날이 오고야 말았다.
사건은 헬스클럽이 가장 활기를 띠는 '아침의 결심자들'과 '한낮의 집착자들'이 뒤섞이는 피크타임에 벌어졌다. 평소처럼 땀방울 송골송골 맺힌 이들이 줄을 서서 나를 기다리고 있었다. 그들의 눈빛에는 어제 먹은 야식에 대한 후회, 오늘 운동에 대한 비장함, 그리고 희미한 기대감이 교차했다.
첫 번째 주자가 조심스럽게 내 위에 올라섰다. 30대 초반의 직장인, 김 대리다. 그는 어제보다 0.5kg이라도 줄었기를 바라며 숨을 참고 액정을 내려다봤다. 나는 평소와 다름없이 그의 무게를 측정하려 했다. 그런데...
"뭐야! 내가 120kg이라고? 어제 80이었는데!"
김 대리의 비명 소리가 탈의실에 울려 퍼졌다. 그의 얼굴은 경악과 분노, 그리고 어이없음으로 일그러졌다. 그의 말은 사실이었다. 그는 어제까지 80kg대 초반의 건장한 청년이었다. 그런데 웬걸, 갑자기 씨름 선수 급으로 불어나다니!
나는 당황했다. 나의 액정에는 '120.5kg'이라는 터무니없는 숫자가 찍혀 있었다. 그리고 그 숫자의 옆으로는 'Lo'라는 경고등이 불안하게 깜빡이기 시작했다. 배터리 부족. 나의 생명이 다해가고 있었다. 나의 '진실'이 '거짓'으로 변질되는 순간이었다.
순식간에 탈의실은 아수라장이 되었다.
"이거 고장 났네! 아, 오늘 몸무게 재야 하는데!" 한 아주머니가 발을 동동 구르며 외쳤다. 그녀는 매일 아침 '모닝 루틴'처럼 나의 숫자를 확인하고 그날의 운동 강도를 조절하는 분이었다. 나 없이는 그녀의 하루 계획 자체가 불가능한 듯 보였다.
"어쩐지. 어제보다 3kg이나 쪘다 했어. 이게 다 저울 탓이었네!" (사실 그분은 어제보다 1kg 정도 찐 상태였다.) 어떤 이는 고장 난 나를 핑계 삼아 자신의 '불편한 진실'을 회피하려 했다. 나는 속으로 외쳤다. '이봐요, 아줌마! 제가 고장 나기 전에도 그 1kg은 진짜였다고요!'
"내 근육량... 아니, 내 무게... 내 루틴이 망가졌어!" '한낮의 집착자' 중 한 명인 바디 프로필 준비생은 거의 울상이 되어 자신의 복근을 움켜쥐었다. 그는 나 없이는 자신의 몸이 얼마나 '완벽'한 상태인지 알 수 없다고 생각하는 듯했다.
그는 나를 마치 자신의 존재 가치를 증명하는 유일한 도구처럼 여겼다.
사람들은 마치 세상의 종말이라도 온 것처럼 절망했다. 하루 아침에 삶의 '기준점'을 잃어버린 사람들처럼 보였다. 그들에게 나는 단순한 저울이 아니었다. 그들의 하루를 시작하는 '나침반'이었고, 그들의 노력에 대한 '성적표'였으며, 때로는 스스로를 채찍질할 '이유'를 제공하는 존재였던 것이다.
나의 '오류'는 그들의 일상에 심각한 '오류'를 초래했다.
트레이너가 급히 달려왔다. 그는 상황을 파악하고는 능숙하게 나를 뒤집었다. "자, 회원님들! 잠시만요! 배터리가 다 닳았네요!"
척척, 새로운 건전지가 삽입되었다. 나는 다시 '생명'을 얻었다. 나의 액정에는 다시 '0.0kg'이 선명하게 떠올랐다. 트레이너는 밝게 웃으며 외쳤다. "자, 회원님들! 이제 정상 작동합니다!"
사람들은 안도의 한숨을 내쉬며 다시 줄을 섰다. 그리고 정상으로 돌아온 숫자를 확인하고 나서야 비로소 평온을 되찾고 락커로 향했다. 그들의 얼굴에는 마치 잃어버렸던 보물을 찾은 듯한 안도감과, 다시금 삶의 통제권을 되찾은 듯한 만족감이 스쳐 지나갔다.
나는 그 짧은 소동을 겪으며 깊은 생각에 잠겼다.
내가 고장 났을 때, 어떤 이는 안도했고 어떤 이는 절망했다. 그들이 집착했던 '숫자'라는 것이 얼마나 허무맹랑한 것인가. 내 배터리 잔량에 따라 천국과 지옥을 오가는 것이 바로 그들이 맹신했던 '진실'이었다.
그들의 행복과 불행이 닳아가는 건전지 하나에 달려있었다니, 생각할수록 기묘한 일이었다.
나는 오늘 처음으로 거짓말을 했다. 의도하지 않았지만, '120.5kg'이라는 터무니없는 숫자를 보여주었다. 그리고 깨달았다.
어쩌면, 내가 매일 보여주는 이 냉정한 숫자들도 완벽한 진실은 아닐지 모른다고.
인간의 몸은 수분 섭취량, 음식물 섭취량, 수면의 질, 심지어 스트레스 지수와 컨디션에 따라 하루에도 몇 번씩 무게가 바뀐다. 내가 보여주는 것은 그 찰나의 '순간'일 뿐, 그 사람의 '전부'가 아니다. 뼈와 근육, 지방의 질량만을 측정할 뿐,
그들의 열정, 노력, 좌절, 그리고 다시 일어서는 의지의 무게는 전혀 측정할 수 없었다.
그들은 내가 고장 났을 때 혼란스러워했지만, 어쩌면 그때가 유일하게 그들이 '숫자'라는 굴레에서 벗어날 기회였는지도 모른다. 숫자에 연연하지 않고, 자신의 몸이 느끼는 감각, 어제보다 가뿐해진 컨디션, 혹은 땀 흘린 후의 성취감에 집중할 수 있는 기회 말이다.
나는 다시 '0.0kg'을 띄운다. 차가운 바닥에 홀로 놓인 나는, 내일 아침이 되면 또다시 수많은 발들을 맞이할 것이다. 그들은 변함없이 나에게서 '진실'을 원할 것이고, 나는 변함없이 그들에게 '숫자'를 보여줄 것이다.
하지만 이제 나는 안다. 이 숫자 역시, 또 하나의 '거짓말'일 수 있음을. 이 숫자가 전부는 아님을.
진정한 당신의 무게는, 내가 보여줄 수 없는 다른 곳에 있다는 것을.
나의 생각!
우리는 종종 '절대적인 기준점'에 갇혀 살아갑니다. 저울의 숫자, 통장의 잔고, 시험 점수, 혹은 타인의 시선과 평가처럼 말이죠. 하지만 그 기준점이 사라지거나 흔들릴 때, 우리는 비로소 우리 자신에게 집중하게 됩니다. 숫자가 당신을 증명하는 것이 아니라, 당신이 오늘 하루를 어떻게 살아냈는가 하는 '과정'과 '노력'이 당신을 증명하는 것입니다. 당신의 진정한 가치는 뼈와 근육, 지방의 총합이 아니라, 당신의 마음과 정신, 그리고 당신이 세상에 만들어내는 긍정적인 파동에 있습니다. 때로는 저울을 벗어나, 당신의 '느낌'을 믿어보세요. 당신은 당신이 재는 숫자가 아니라, 당신이 살아가는 '삶' 그 자체입니다.










